BUCK-TICK 櫻井敦司さん(57)急逝
1980年代後半~1990年代前半、世はバンドブームでした。
このとき、BUCK-TICKはバンドブームのど真ん中にいたバンドの一つでした。
BUCK-TICKが世の中の若者から支持を得て、名声を得た、これは2点の理由があったと思っています。
- 櫻井の顔面偏差値が異常に高い
- 今井寿の作曲が不思議な世界
1は、女性のファン拡大は恐ろしいほど凄かった。
2は、左利きの今井らしい類稀な世界観の楽曲を世に送り出した
と思ってます。
特に、当初、ドラムだった櫻井敦司を見た氷室京介は「お前は顔がイイからドラムからボーカルになれ」と群馬県でヒムロックが櫻井敦司に言って櫻井敦司がドラムからボーカルに転向したと言われています。(本当か否かは本人たちにしか分かりませんが)
いずれにしても、顔面偏差値が変態レベルで頭の良い東大 理科三類主席レベルの櫻井敦司と音楽の才能の塊である今井寿、どちらが欠けていてもBUCK-TICKではなかったことでしょう。
その櫻井敦司が死んだなんて信じられません。
JUST ONE MORE KISSをリリースしたのが1988年。
今は、2023年。
今から35年前の櫻井敦司が ↓ です。
亡くなったのが57歳で ↑ が35年前ですから、この動画の櫻井敦司は22歳と言うことです。
こんな美形なロッカーは、櫻井敦司が筆頭だったと思います。
伝説のバンド、BOOWYの布袋なんて絶対に顔面偏差値は高くないと思うんですよね。笑(布袋ファンの方、すみません!)
個人的に言うと、今井寿の左利きギターがメチャクチャ恰好イイ!なんて思ってました。
1988年代のバンドブームを支えていたバンドの一つであったBUCK-TICKのボーカル、櫻井敦司。
亡くなったときはライブの最中に体調不良となり、そのまま病院に救急搬送された後、病院でお亡くなりになってしまったそうです。
1980年代、思春期だった私は、BUCK-TICK、UNICORN、THE BLUE HEARTS、JUN SKY Walkers、RED Warriors、THE BOOM、イカすバンド天国などに出演しているバンドを見て仲間とバンドを結成してイキがっていたものです。
そのBUCK-TICKのボーカル、櫻井敦司が死んでしまったなんて本当に信じられません。
もう、あの頃の人達も亡くなってしまう年齢に達している、そして自分もその年齢に年々近づいているんだと改めて認識しました。
自分もいつ死んでも良いように悔いを残さないよう、やれる範囲でやりたいことを先延ばしにせずにしていこうと改めて思いました。
青春時代は、とんでもないバンドブーム全盛期でした。
そのバンドブームの主役の一人だったBUCK-TICKの櫻井敦司を心から偲び、心からご冥福をお祈りいたします。
合掌