旅するCrosscub

クロスカブのこと、国内外の旅、日常的な雑感などの雑記です

クロスカブ 散歩 その9(霞ケ浦と鹿島海軍航空隊跡地)

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クロスカブで散歩(霞ケ浦と鹿島海軍航空隊跡地)

今日は快晴でした。(12時半くらいまで)

風はやや強く感じましたが、気温が高いので走っているときの風が心地よい。

最高のコンディションでしたね。

たくさんのバイクとすれ違いました。(暴走族もいました笑)

クロスカブと霞ケ浦

オイル交換をしてから、何だかスピードが出やすくなった気がします。

気のせい?

それともバイクってオイル交換をしたら、体感できるくらいスピードが変化する!?

まぁ、気のせいな気がしますけど。笑

道路の段差を多少避けられるようになってきた気もするし、1000kmも走れば多少なりとも運転が上達するのかもしれない。

こんなときこそ、安全運転を心がけようと気を引き締めたい。

以前、霞ケ浦に来たときに景色の良さと道が空いていることが気に入っていた。

また来ようと思っていたが、もう1か月も経ってしまった。

↓ 良かったら過去記事も読んでね。

crosscubja60.net

今日は天気が良くて気温が高いので、湖畔でBBQやジェットスキーをしている家族、仲間同士で遊びに来ている人が結構いた。

大山スロープ

場所は、茨城県稲敷郡美浦村大山

ジェットスキーをしている人達がたくさんいました。

大山スロープ

近くにはマリンスポーツショップもありましたから、マリンスポーツ全般をここですることが出来るのかもしれませんね。

鹿島海軍航空隊跡地

ここは第二次世界大戦時、鹿島海軍航空隊があった跡地でもあります。

霞ケ浦の南側にある美浦村。

1938年、鹿島海軍航空隊は水上機の練習航空隊として発足しています。

飛行練習生たちが、連日厳しい訓練に励んでいました。

月月火水木金金ですね。

これは休日返上で猛訓練をしていた慣用表現です。

当時の日本海軍航空隊のパイロットは世界一と言われていました。

youtu.be

鹿島海軍航空隊は、内地の防衛・搭乗員の教育・鹿島灘における対潜作戦を主な任務とし、1000人を超える大規模な基地でした。

太平洋戦争後期は日本本土防空部隊となり、その後、特別攻撃隊を編成して沖縄戦において特攻作戦に従事しました。

鹿島海軍航空隊 航空機射出装置 カタパルト跡

鹿島海軍航空隊 航空機射出装置 カタパルト跡

水上機のカタパルトが当時はあったみたいです。

固定されていた場所だけが残っているので、いまいち分かりづらいですが・・。

当時の航空機射出装置 カタパルト

空母に搭載されている短距離で戦闘機を射出できる装置のことを「カタパルト」と言います。

今は電磁式カタパルトが主流のようですが、種別としては火薬式、油圧式、空気式、蒸気式、電磁式があります。

元鹿島海軍航空隊の跡地に記念碑

元鹿島海軍航空隊の跡地に記念碑がありました。

記念碑には碑文が書かれていました。

碑文

この碑は、元日本帝國海軍所属の水上機搭乗員養成基地「鹿島海軍航空隊」があったその一角であり、当時義務教育を終え又は旧制中学校中途で志願してきた飛行練習生、大学在学中に志願したきた飛行専修予備学生、海軍兵学校出身の飛行学生等、隊内各兵科の支えを受けながら優秀な「パイロット」を育成していたところである。
昭和十三年五月十一日開隊後、昭和二十年八月十五日の敗戦まで、特に大東亜戦争に突入後は順次日本本土防衛の体制に移行し、外部からの襲撃を未然に防禦するため、哨戒飛行、索敵飛行、迎撃発進等果敢に防戦に傾注したものの戦に利あらず、遂には未帰還機あり、空中戦での戦死傷者あり、果ては特攻隊編成による沖縄周辺に群がる敵艦船に突入戦死、又は地上においても作業中の隊員が機銃掃射を浴び戦死する等、この鹿島空在隊者だけでも数十名に及ぶ尊い犠牲者を出したのである。
遅れ馳せながら我々生存者一同浄財を集め、救国の精神に燃え散華していった英霊に黙祷を捧げ、ご冥福を祈ると共にこの事実を後世に伝承すべく、ここに記念碑を建立するものである。

平成11年 5月27日 元鹿島海軍航空隊在隊者一同 有志一同

元鹿島海軍航空隊跡地 記念碑

胸に手を当て、日本を最後まで守ってくれた英霊達にご挨拶をしました。

茨城県には戦時中の戦跡が多く残っているようです。

桜花なんかも保存されているようなので、ぜひ今度行ってみようと思っています。

 

では、また!

 

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